P KAYOU(ピーカヨウ)がお届けするJPOPの歴史ー今回は1970(昭和45年)からの5年間の物語です。
1970年から5年間のキーワードは、「シラケ」「シラケ世代」です。
シラケ(白け)ー気持ちが冷めている・無関心な様子を表す当時の流行語です。
わが歌謡は、そんな社会の雰囲気をよそに次の進化へと準備を進めていました。
目次
1970-1974年の社会のようす
高度経済成長の余熱と揺らぎ
大阪万博(1970,大阪)の熱狂が冷め、街は便利さに満ちあふれました。
その裏で「過労死」「公害」「受験戦争」という影が差し始めます。
歌謡は、その歪みをやわらげる祈りであり、時に抗議の声でもありました。
学園闘争からの余波
大学のバリケードが崩れた後も、若者の胸には不安と孤独が残りました。
その時、吉田拓郎や井上陽水が、「声を上げる」の代わりに「心の叫び」を響かます。
青年は拳を掲げるかわりに、ギターを抱えるようになったのです。
公害と都市の憂鬱
四日市ぜんそく、水俣病…高度成長の負の遺産が各地で顕在化しはじめます。
地方から都市へ流れ込む人波の中で、歌謡は「望郷」「ふるさと」の響きを奏でました。
歌は都市に生きる人々の心の故郷となったのです。
家庭の変化と主婦の歌
カラーテレビが普及し、茶の間には歌謡ショーが日常化しました。
専業主婦はテレビを通して歌謡とともに生き、孤独や倦怠もまた歌詞に映し出されました。
歌は女性と家族をつなぐ糸になりました。
1970-1974年の名曲10選
1970年代前半を彩った珠玉の11曲を見ていきましょう。
- 京都の恋
- 17才
- 別れの朝
- 喝采
- 結婚しようよ
- わたしの彼は左きき
- 神田川
- 心の旅
- 積木の部屋
- ひと夏の経験
『わたしの彼は左きき』(1973/昭和48年)
『わたしの彼は左きき』の歌詞の意味は、個性への誇らしさと恋の特別感を表しています。歌のストーリーは、左利きという彼氏の小さな特徴を恋の証として輝かせ、可憐なユーモアと純粋な愛情を歌いあげました。